LIFE

【過去の偉人たちの日課】昔の人のルーティン

Genius Routine

偉大な偉人たちの日課について、紹介します。
過去の偉人たちは、どのようなルーティンを行い、作業効率を上げたのか紹介します。

職場での邪魔を最小にする工夫

イギリスの小説家ジェーン・オースティンは、ドアのヒンジに油をささず、振動がある時に、わざと、きしむような音を発するようにしていました。

そうすることで、誰かが彼女の書斎に近づく時、すぐに感づくことができたのでき、邪魔されないよう、事前に対応ができたのです。

アメリカの小説家ウィリアム・フォークナーは、書斎のドアに鍵がなかったため、書斎に入る時は、ドアノブを外して、自分の机に置いていました。

これにより、彼が書斎に入っている間は、人が入ってこれなかったのです。

企業にて、ほとんどの社員のスペース小さなパーテンションで区切ってあるだけなので、こういった個室は夢のような話しになってしまいますが。

アメリカの小説家マーク・トウェインの家族は、彼の部屋のドアを壊すより、角笛を鳴らした方が、彼をうまく部屋から出せるというのを知っていました。

イギリスの小説家であるグラハム・グリーンはさらにその上を行きます。だれにも邪魔されないよう、住む家とは別に、秘密のオフィスを借りたのです。

彼の妻だけが、住所と電話番号を知っていました。

アメリカの芸術家であるN.C ウェイスは部屋の窓から見える景色が気になり、なかなか集中力を維持できませんでした。

そのため、段ボールの小片を切り取り、目隠しのようにするため、彼の眼鏡にテープで止めたそうです。

なかなか真似できるようなものではありませんが、私の場合、だれにも邪魔されたくない時は、会議室にこもって仕事をしています。

毎日散歩に行く

脳機能の活性化には、散歩は欠かせません。

デンマークの哲学者であるセーレン・キェルケゴールは健康のため散歩がいいことを知っていました。そして、散歩に行きアイデアを思いつくと、すぐさま机に戻り、帽子をかぶったまま、そして杖や傘を持ったまま、執筆を始めるのです。

イギリスの小説家チャールズ・ディケンズは毎日午後、3-4時間の散歩を日課にしていたのは有名です。散歩中に彼が観察したものを、直接ノートに落とし込んでいました。

作曲家チャイコフスキーは毎日、2時間の散歩を行いました。2時間より早くは戻らないのです。120分間散歩しないと、彼は病気になると思っていたためです。

作曲家ベートーベンは昼食後、長い散歩時間を取りました。アイデアが思いついた場合、書き留められるよう、ペンと紙を持っていつも散歩に行っていました。

イギリスの作曲家エリック・サティはパリから彼が住む郊外まで長い散歩を行っていました。街灯の下に立ち止まり、旅の途中に思い付いた自分の意見をノートに書き留めていたのです。

うわさですが、戦争により街灯が消されていた期間、彼の生産性は落ちたと言われています。

現代でも、朝早く起きてジムで汗を流している成功者は多いですね。ダイエットや日中の生産性が上がるなどのメリットがあります。

責任を課すマトリックスを作成する

イギリスの小説家アンソニー・トロロープは毎日3時間のみを執筆の時間に充てていました。ただ、15分で250文字書くという条件を自分自身に課していたのです。

そして、3時間以内に小説を書き終えたらすぐに、残りの時間を使って次の作品の執筆を始めました。

アメリカの小説家アーネスト・ヘミングウェイはチャートで、彼の日常の言葉のアプトプットを追跡しました。彼自身が子供のようになってはいけないという理由からです。

アメリカの心理学者バラス・フレデリック・スキナーはタイマーをセットして、執筆の時間中、開始と中断を調整しました。注意深く、彼が執筆した時間と作り上げた文字数をグラフで表したのです。

目標の細分化により、具体的な行動が促進されるのです。

忙しい業務と重要な業務の明確な分別

世界でEmailが使用される前、コミュニケーションの手段は手紙でした。手紙を通して、やりとりを行うため、かなりの時間を費やしていたことは、容易に想像できます。

多くの人は、日常を実際の業務(生計を立てるために働く)に充てる時間と多忙な業務(午後、手紙の返信をする)に充てる時間に分けていました。

実際の業務がうまく行っていない時は、手紙の返信に時間を費やす人もいたのです。

これらコミュニケーションに費やす時間は、現代の状況と類似しているように見えます。

ただ、過去の偉人たちは一つの利点を持っていました。頻繁なEmailとは違い、決まった時刻に手紙が届いたため、うまく業務の時間調整ができたのです。

外から邪魔が入らなく工夫することは、現代社会での課題です。

行き詰った時ではなく、うまく行っている時に一呼吸置く習慣

ヘミングウェイは、執筆する時に、まだ力があるうちに、作業を止めます。そのまま続けてしまうと、どんな結果になるか分かるからです(疲れ果ててしまう)。次の日まで待ち、そして再び、開始します。

オーストリアの作曲家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは6時に起床し、立て続けの音楽の勉強、コンサート、社交の場に時間を使いました。

そして、1時AMまで床に就けないのはざらでした。多くの偉人が朝に執筆を始め、昼食休憩を取り、散歩に行き、2-3時間を手紙の返信に充てて、2時か3時PMに仕事を切り上げる生活を送っていました。

スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングやモーツアルトは、忙しく休憩が必要な人がいつも通り、働き続けるのはばかげていると理解したと、言っています。

支えてくれるパートナー

精神科医ジークムント・フロイトの妻であるマーサ・バーネイスは、フロイトが翌日に着る服を準備し、ハンカチを選び、彼の歯ブラシに歯磨き粉をつけることまでしていました。

アメリカの著作家ガートルード・スタインは、石や牛を見ながら外で執筆作業をすることを好みました。

フランスの田舎町に旅行に行った時もそうでした。ガートルードは座る場所を決めて、彼の恋人である作家アリス B トクラスは、執筆の邪魔にならないよう、彼女の視界に入る牛を追っ払ったのです。

オーストリアの作曲家グスタス・マーラーの妻は隣人の人にオペラのチケットを渡して、彼が作曲している間は、ペットの犬が騒がないよう、説得して回ったのです。

妻は音楽家のキャリアを諦めるようグスタス・マーラーに強要されたにも関わらずです。

イギリスの小説家ジェーン・オースティンの姉であるカサンドラ・オースティンは、家事のほとんどをこなしました。これによりジェーンは執筆に多くの時間を使うことができたのです。

ジェーンは、家事で頭がいっぱいであったら、執筆は無理だったと話していました。

アメリカの画家アンディ・ウォーホルは、友達で協力者のパット・ハケットを毎朝呼び出しました。そして、前日の彼の活動の詳細を詳しく話したのです。

その話しは2時間続きました。パットは律儀に1976年から1987年のアンディ・ウォーホルが亡くなるまで、毎日朝出向き、彼の話しをノートに取り、書き写しました。

社交に使う時間を制限する

フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの恋人の一人はこう述べています。

パーティー、歓迎会や中産階級の地位も利用せず、意図的に、簡素で教養のないような生活だった。そうすることで、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが仕事に集中できる場を作ったのです。

また、フランスの小説家マルセル・プルーストは、1910年に社会から離脱するという決断を取りました。

パブロ・ピカソと彼女のフェルナンド・オリビエは日曜日をステインとトクラスから日曜日はアットホームデーという、アイデアを借りました。

その人の午後は、友人関係の義務を放棄する日と決めたのです。

アメリカの作家フランシーン・プローズは彼女の子供がスクールバスを待っている間に、執筆を行いました。

また、イギリスの詩人であるT・S・エリオットは、詩にだけ集中するよりも、銀行で働きながら書いた方がよっぽど簡単であると、発見したのです。

アメリカの小説家フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドは、若い頃は陸軍士官として多忙を極めている中で作家活動を行っていました。

しかし退役後は、パリで毎晩のように酔っぱらっていたという話しが残っています。陸軍士官として忙しかった時の方が、体にもよく生産的あったという話しです。

時間は唯一平等に与えられたものです。それを効率的に使う方法は、いくらでもあるというのが、偉人たちの教えです。

最後までお読みいただきありがとうございました。