アメリカでは2020年11月に大統領選挙が行われます。
共和党出身のドナルド・トランプ現大統領と直接対決する権利を得るため、民主党では予備選挙が行われていました。
マサチューセッツ州選出の上院議員エリザベス・ウォーレン氏やバーモント州選出の上院議員バーニー・サンダース氏ら候補者と戦い、最終的にジョー・バイデン氏が選出されたました。
ジョー・バイデン氏とは?という人も多いかもしれませんが、オバマ大統領時代の前副大統領と言えば、ピンとくるかもしれません。
今後、アメリカの重要パーソンとして活躍が期待されるジョー・バイデン氏について、ご紹介します。(2020年4月時点)
プロフィール
本名;ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア(Joseph Robinette Biden, Jr)
父名;ジョセフ・ロビネット・バイデン・シニア
母名;キャサリン・ユ-ジニア・バイデン
妻名;ジル・バイデン
子供;ボー・バイデン、ハンター・バイデン、ナオミ・バイデン、アシュリー・バイデン
誕生日;1942年11月20日
年齢;77歳
生まれ;ペンシルベニア州スクラントン
身長;182cm
体重;83kg
職業;政治家
宗教;カトリック
年収;1.5百万ドル
主な経歴
-デラウェア大学で歴史学と政治学を専攻。フットボールに熱中。
‐シラキューズ大学ロースクール卒業。在学中、最初の妻であるネイリア・ハンターと出会い、結婚する
-1973年-2009年;連邦上院議員(デラウェア州選出)
-2009-2019年;第47代副大統領(初のデラウェア州出身の副大統領
-2017年;副大統領としての功労を讃えられ、大統領自由勲章をオバマ大統領より受領
政治活動が最も長い超ベテラン政治家です。民主党の重鎮。
立ちはだかった困難
-最初の妻、ネイリア・ハンターと結婚し、3人の子供を授かる。 ボー・バイデン(1969年)、ハンター・バイデン(1970年)、ナオミ・バイデン(1971年)。
-1972年;妻のネイリアがクリスマスの買い物をするために、3人の子供たちを連れてデラウェア州ホケッシンに車で出かけていたが、彼女の運転する車が、交差点でトレーラーに追突され、ネイリアとまだ幼かったナオミが死亡、ボーとロバートも、瀕死の重傷を負う。
-1977年;トレイシー・ジェイコブスと再婚。アシュリー・バイデンを授かる(1981年)
-1988年;45歳の時、首の痛みに悩まされた末にウォルター・リード陸軍病院に入院し、手術を受けた。脳動脈瘤が破裂したのが原因であり、この時バイデンは一時危篤状態に陥るなど、生死の境をさまよった。
-2008年;自身2度目の大統領選挙となる2008年アメリカ合衆国大統領選挙に挑戦するが、バラク・オバマ候補とヒラリー・クリントン候補の二強が他を突き放す形勢となり、1月3日に撤退を決める。
-2015年;デラウェア州の司法長官を務めた長男ボー・バイデンを脳腫瘍で失う。
バイデン氏の成功談
-1969年;法律事務所で働きながら、バイデンはニューキャッスル郡の郡議会議員に選ばれ、1970年から1972年まで同職を務めた。
-1972年;上院議員選挙に民主党から出馬する。この時現職だった共和党のJ. カレブ・ボッグス議員(著名な議員)、デラウェア州選出の下院議員だったピエール・S・デュポン4世(のちデラウェア州知事)やウィルミントン市長であったハリー・G・ハスケル・ジュニアがいる中で、共和党陣営内での分裂などもあり、最終的にはバイデンがボッグスを破って勝利を収めた。連邦上院議員では建国以来5番目の若さでの当選となった。
-1998年には、キャンペーンのため1.7百万ドルを貯めて、大統領候補に名乗りをあげるなど、精力的に活動を行っていく。しかし、この時は英労働党党首の演説内容を盗用した疑いが持ち上がり撤退に追い込まれた。
-2008年アメリカ合衆国大統領選挙に挑戦するが、バラク・オバマ候補とヒラリー・クリントン候補の二強が他を突き放す形勢となり、1月3日に撤退。しかし、8月23日に大統領候補の指名を確実にしたオバマから副大統領候補指名の意向が発表され、これを受諾。
この波乱万丈の人生が何よりすごい。
一見、やさしそうなおじさんに見えますが、結構なアグレッシブな行動が目立ちます。
スキャンダルもちらほら。。。
トランプの大統領の対抗馬として非常に楽しみです。
最後までお読みいただきありがとうございました。